河北潟の水辺を守り隊として、南相馬市の被災者に河北潟の野菜を届けました。河北潟湖沼研究所からも2名が参加して、一行6名で南相馬市まで野菜を運び、自らの手で200戸の仮設住宅の方々へ河北潟の野菜を手渡しました。
この活動は昨年暮れに、河北潟の水辺を守り隊の臨時活動会議で提起されたもので、河北潟地域の人達から募金を募り、集まったお金で河北潟の野菜を購入し、南相馬市の人達に食べてもらおうという取り組みです。1月からの募金開始で1月末時点で70万円を超える募金が集まりましたので、2月19日に第一弾の配達を行いました。このブログで、その時の様子をお伝えします。
<出発の朝>
活動前日の2月18日は移動日でした。
この冬で最も雪の降った朝、河北潟干拓地にある金沢れんこん組合の集荷場にて7時より野菜の積み込み作業を行いました。その場で出発式を行い、2トントラック1台、乗用車1台に6名が分乗して、一路、福島県南相馬市を目指しました。

(トラックにれんこんを積み込みます)

(焼き芋機などの機材を含め、トラックの荷台はほぼ満杯)
<雪の中の移動>
河北潟干拓地は約15cmの積雪で、出発はじめからアイスバーンの道をゆっくりと進み、高速道に入りました。期待ははかなく消え、高速道路も圧雪状態の悪路で、慎重に進みました。何とか富山県内を抜けることが出来ましたが、新潟県に入ると、通行止めとの表示がありました。除雪のための通行止めでした。結局、 能生インターチェンジから国道8号線で柿崎インターチェンジを目指しました。
予定より約1時間遅れで、柿崎インターチェンジに入り、新潟県内は所々圧雪状態がありましたが、スムーズに進みました。ところが
新潟県境を越え福島県に入ったところで、事故のため再び通行止め、西会津から会津坂下間は一般道を走りました。会津に入ると、天気は一転して晴天。その後福島西インターまで快調に高速道路を走りました。
一般道を南会津に向かしました。途中、線量の高い飯舘村を通過しました。基本的に全村避難しているので、車は行き交っているものの、人はほとんど見かけません。家のカーテンは閉まり、田畑は荒れ放題になっています。

(飯舘村から南相馬市に入るあたり。徐々に線量計の数値は下がってくる)
南相馬市に入ると、商店も開いており、普通に生活する人たちの姿が増えてきます。
目的の仮設住宅団地が見えてきた時には午後5時を回っていました。通行止め待機中に蓮台寺サービスエリアで軽い食事を取っていたので良かったのですが、ここまで運転手の交代時とトイレ以外は、ずっと走り続けていきました。
<到着>
仮設住宅では、自治会長さんと、協力いただいている地元企業の方々が出迎えてくれました。仮設住宅の掲示板には、あらかじめ送っておいた活動についてのお知らせのポスターが貼ってありました。各家庭にもチラシを配っていただいているとのことでした。

(集会所前の掲示板、焼イモのポスターが目立ってました)
皆さんに手伝ってもらい、野菜を集会所に運び込み、焼き芋機の試験をして、前日の準備が終わりました。日はとっくに暮れていました。留守番の2名は仮設住宅の集会所に泊まらせてもらうことに、他の4名は、浜通地区でのホテルが満杯でしたので、真っ暗な中、いったん福島市まで1時間半の道のりを戻りました。

(荷物を下ろします)

(集会場に運び込まれた野菜たち、明日の出番を待ちます)
posted by ちゅうひくん at 14:22|
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