
シンポジウム第1部に続きまして、第2部の記録です。
第2部 パネルディスカッション「河北潟湖沼研究所への注文」
司会 中出裕之さん(河北潟湖沼研究所友の会事務局)今井敏彦さんより(河北潟自然再生協議会)河北潟湖沼研究所のことは、河北潟自然再生協議会をつくろうとおこなわれた発起人会のときに知りました。名前は知っていましたが、具体的にどういう活動をされているかを全然知りませんでした。今年で8年目を迎えますが、いかに湖沼研究所がわたしたちのようなここで生まれ育った人間よりも、現在の河北潟の環境とか、いろんなことを研究されているかを実感しました。ただ何回か湖沼研究所のフォーラムとか内灘の会合でも、出させていただいたのですが、わたしたちとのズレといいますか、感覚の違いを感じました。やはり専門集団、知識集団だなと関心しましたが、はたして河北潟のいろんな構想とか色々なことが、河北潟の周辺住民の皆さんが関心を持って前向きに協力しようと、顔を向けようという態勢かと疑問に思っていました。
しかし最近、高橋さんにうちの会の事務局をしていただいて、毎月例会をしていますが、そのなかで最初に感じたことから違いまして、最近はものすごく地域の皆さんとともに歩もうとか、いろんなことを心に秘めながら接してやっていこうというところを感じるようになりました。それから、2年前になりますか、うちの町のほうへチクゴスズメノヒエを全部取ろうという話で、わたしらもよく観察しているのですけど、わたしたちは大きい川を中心に取るのですが、高橋さんたちは小さい水路までみな観察しておって、大きな川のチクゴスズメノヒエを取り終えてやれやれと思っていたら、「あそこにもあります、あそこにもありますよ。」ということでどんどんと、地域の細かいところまで観察されていることがわかりました。そういうことで従来の専門家集団から、地域の住民のレベルまで下がってきてこられたように感じ、地域の自然を守るとともに、地域の住民があまり振り向かないところに、きめ細かく、注意もしていただくということで、大変最近はわたしらのレベルまでともに歩いてくれる姿勢になったなあ、というようなことを実感しています。
司会 中出さん
ありがとうございました。むかしから地域の皆さんとボランティアを通じながらやろうと思って、いろんな方々と絡み合ってきていることは確かですが、イベント中心にやってきた面もあり、なかなかそこにたどり着かなかった。今後はまた違う形でということを考えています。
新村光秀さんより(河北潟環境ボランティアスタッフ) 湖沼研究所が発足する時からよく存じています。わたしは金沢市の職員で、いまから15年前は、河北潟に流入する森下川とか色んな河川の水質検査をして、且つそこに排水している事業所に対する発生源対策、負荷軽減の指導などをしている部署にいました。河北潟が汚れているのは、基本的に生活排水対策だということで、当時の県の調査によると負荷量が50%をしめているということで、これを金沢市だけではなく、1市5町(現在2市2町)で取り組みができたらいいなと当時思っていました。そういうときに河北潟の水質が平成4年に、それまでがCODの評価でだいたい8〜9だったのが、10にかかってしまい、行政としてなおさら取り組む必要があるのではないかなという思いをしていました。たまたま平成6年に検査をする部署から、当時の環境保全課の水質係長に異動しました。河北潟について取り組んでみたいという思いがありました。金沢市だけでは当然できないことですので県のほうに話をしにいきましたが、県ではその頃ちょうど平成5年に木場潟を水質汚濁防止法という法律に基づく、生活排水対策の重点地域に指定していました。河北潟とか、柴山潟とか順次指定していきたいという思いもあったのだろうと思いますが、わたしが話をしにいった時に、ぜひ流域で取り組んでもらえないかという話があり、その6月か7月に1市5町の課長会議というのをやってもらいました。内灘町はどちらかというと被害者的な意味合いがあり是非やってほしいと、金沢市は全体の50%をしめているからやっていくべきだという考え方でしたが、津幡、七塚、高松、宇ノ気は、潟に接しているということが少なかったので消極的でした。一回目の会合の時にはまとまりませんでした。わたしはメンバーの人たちの意見を聞きながら、やっぱり取り組むべきでは無かろうかと話し合いました。とくに宇ノ気の課長さんがある意味ではリーダー的な方でしたので、事情を説明して、ぜひ金沢市と河北郡で取り組みをしないかと話し合い、やろうということになりました。それが平成6年で、ちょうど河北潟湖沼研究所もメンバーの人たちがいろいろ話し合いをされながら、気運が盛り上がっていました。湖沼研究所が発足する時期に、行政の方でもちょうど河北潟に取り組む時期だった。ちょうど良いタイミングだったなという思いをしています。平成6年に計画を作ろうという段取りをして、平成7年に計画を作り、平成8年に実際に活動をはじめるという形になっていきます。わたしがそこに3年間いましたけど、平成9年にまた違う部署に異動しました。ただ河北潟についてはある意味の思い入れもありましたので、なにかのボランティアとして参加できないかなということを思っていました。そのひとつとして、河北潟湖沼研究所が平成8年頃に、友の会を募集しましたので、たぶんわたしが友の会の会員ナンバー1号だったのではないかなと思います。それからいままで15年間、友の会の会員でいさせてもらっています。
平成9年に河北潟にどう関わることができるかなということで、河北潟水質浄化ボランティアスタッフという組織を立ち上げました。河北潟の水質浄化をするボランティアに情報などを提供して、ボランティア活動が円滑にすすむよう協力するという組織です。ボランティアをする人たちのボランティアをするとういことで、今井さんもその時に参加していただいて、メンバー10人くらいでした。まず河北潟について知らなければいけないということで勉強を1年間くらいしまして、あとはボランティアの方の要請に応じて対応していこうと思ったのですけど、組織として何か一つのことをやろうということでなくて、個々にそれぞれボランティアとして協力するという仕組みだったものですから、だんだん活動が停滞していき、活動を2年少しして後は自然消滅してしまいました。
平成13年にまた縁があって環境保全課にもどりました。そして、河北潟に関わっているいろいろな団体にご案内して、環境保全課の会議室で会合していただいたときに、「いくら鉄砲玉を撃っていても、個々に鉄砲玉を撃っていても、玉は遠くには届かないんじゃないかと。だから鉄砲玉を集めて、大砲の玉にしたら、県や市への要望にしても伝わるのではないか。」という話をしました。個々の団体にそれぞれの思いが色々あると思いますが、河北潟という地域を題材として、共通することを取り上げたらどうかということで、一年間かけて議論をなされていったと思っています。そのときは今井さんはじめ、湖沼研究所のみなさんにも参加いただいて、今の自然再生協議会が平成14年にできました。その事務局を高橋さんにじつはやっていただいているという経緯があります。そのときに一回消滅した河北潟水質浄化ボランティアスタッフですけども、もう水質浄化ではないだろうということで、今井さんに代表になっていただいて、わたしが事務局をするということで、「環境ボランティアスタッフ」を立ち上げました。だいたい市とか県の職員の方が中心です。とりあえず河北潟クリーン作戦の世話をさせてもらっているのが実状です。
河北潟湖沼研究所も、さきほど高橋さんから色んな活動の報告がありましたけど、15年間取り組んできた成果というのは重みがあると思います。これから今まで取り組んできたことを、いかに行政とか、地域住民の皆さんに発進していくか。ある意味では研究所だと思います。いろんな先生がいらっしゃって、そういう意味では専門分野の方がいらっしゃる。行政で河北潟について、自然、あるいは地域資源として、専門的に研究されている部署はわたしはないと思います。農業政策、環境政策、土木とか個々の政策的なことを考えている部署はありますけど、それらをトータルして、且つ地域資源は何かということで、農業との共存ということをふまえて取り組んでいるのは河北潟湖沼研究所じゃないだろうかなと思いますし、これからもっと役割というのは重要になっていくのではないかなと思います。多いに期待をしています。
司会 中出さん
ありがとうございます。わたしよりずっと長い河北潟湖沼研究所のつながりを聞かせていただきました。且つ河北潟湖沼研究所をけっこうヨイショしてもらいました。もう少しきつい文句があっても良さそうだなと、またあとでお話ししていただきたいと思います。
長原克信さんより(河北潟沿岸土地改良区)さきに河北潟沿岸土地改良区のことを説明させていただきたいと思います。河北潟は昭和38年頃、食糧難から食糧増産のために河北潟干拓事業が始まりました。干拓事業は農地を作るということが第一の目的、また周辺地域が湿田といいますか、たえず雨が降ると水がついているということで、2点目としては河北潟干拓事業とあわせまして、周辺の排水改良、ポンプ場、水路の改修をしています。そういった周辺の排水改良事業は昭和40年代後半で終わったのですけど、干拓事業が終わったのは最終的に昭和60年ということです。その周辺に排水場9箇所ができましたけど、それら排水機場を河北潟沿岸土地改良区が管理するということでいままで管理をさせてもらっています。いま隣に河北潟干拓土地改良区の方がいますけど、河北潟干拓土地改良区は干拓地の中の施設管理ということでしています。それで先ほど高橋先生の話の中で、河北潟の周辺地域は排水がポンプに頼っているということで、「将来的にはポンプに頼らない、災害に強い地域作りを。」と言っておられましたが、なかなか管理している関係上、非常に厳しいのかなと。とくに河北潟は日本海の潮位によって上がり下がりするので、その辺の対策が必要ではないかなと思っているところです。
沿岸土地改良区としては施設管理をメインにしていますし、土地改良区自体は農業の生産性を上げるということで、自然の整備とか、水路の整備をしています。当然、周辺農家の方たちが農業しやすい管理ということになりますと、今までは土水路だった水路をコンクリート三面張りに変えて、いわゆる自然を破壊してきたのかなと。近年、農業上、自然環境を破壊するということをいっていますけど、生産者の立場からいいますと、生産性を上げるにはやっぱりそういったものは必要ではないかなというところはあります。最近では自然に優しい、環境に優しい農業ということで、水路改修につきましては、当然コンクリートを止めて、むかしの石積みとかもこれからはしていこうとやっております。そうしたなか、河北潟沿岸土地改良区も今後はそうしたところをしていかないといけないかなと、実際どのようにやっていったら良いか考えておりましたところ、ちょうど湖沼研究所がありまして、高橋先生という先生の紹介があって、いまは先生に色々なアドバイスをいただきながら、管理の方を進めてさせていただいています。とくに近年は水路にチクゴスズメノヒエという外来植物がありまして、本来ならぜんぶ機械でえいやと取ってやりたいところだったのですが、そのなかには絶滅危惧種のアサザもあるということで、どういうふうにしようかなということで、機械を使いまた人力ということで、いま現在取り組んでいるところです。
河北潟湖沼研究所は15年経ったということですが、最初に湖沼研究所のことを知ったのは新聞か何かで、河北潟の環境を考えるということで湖沼研究所が載っていました。ちょうどその当時、前局長とわたしがいまして、前局長が「こういう記事が出ている。どういうことするんかな、一回ちょっと勉強しにいって来ようか。」と。当時は大舘さんが代表されていたかなと思いますが、わたしも一回か二回くらい、内灘のほうで当時は夜にみなさんで集まっているということで、ちょっと話を聞かせてもらいました。なかなか専門的なことを言っているし、話を聞いていると、「河北潟はやっぱりいまの状態ではいけない、むかしの状態に戻そう。」ということで、河北潟を海水を入れて浄化すれば綺麗になるんじゃないかと。私は農業者の立場から言いますと、非常に厳しいことをいっておられるな、わたしはこういうところに来ていたら、あんまりまずいのじゃないかなと思って、それ以来ちょっと顔を出していませんでした。
いまは高橋先生たちも湖沼研究所のみなさんも、農業の立場もいろいろ理解いただきながら、いまの状態をいかにどういうふうに自然を戻していこうかと、一生懸命に取り組んでいますし、湖沼研究所はさきほどからみなさん言っているとおり、専門的なところもあります。そういった専門的なお知恵をいただきながら、農業者といいますか、そういったほうのパイプ役として、外来植物の駆除とか自然を守っていこうと、今後もしていきたいと思っています。農家の方からすれば、農業以外のことについては本当にめんどくさがって、こんなのもう除草剤をやっておけばいいやないかと、そういったふうに物を考えるものですから、こういった湖沼研究所、自然再生協議会さんとかありますので、もうすこし農業者の方もわかりやすいような、そういったイベントとかを少ししていただければ、非常に有り難いかなと思っています。
司会 中出さん
ありがとうございました。わたしも途中から入ってきたものですから、汽水湖にもどしてしまえばいいという過激なところがあったとはあまり知りませんでした。いまは決して農業が否定されるということは、ありえないのじゃないのかなと思っています。ご協力の程よろしくお願いいたします。
野村政夫さんより(河北潟干拓土地改良区)河北潟干拓土地改良区の事務局と湖沼研究所さんとのつきあいというのは、土地改良区の組合に、前理事長の大舘さんが入っておられたということと、隣の沿岸土地改良区さんの施設見学会で、高橋さんが講師として、子供達に生態系とか水質のことを色々教えておられたということです。それ以前に河北潟の将来構想を最初見た時は、河北潟を元に戻すということは、非常にわれわれ農業者団体としても、相反する考え方だなということで、できるだけ意見交換というか近づくことはないであろうなとは最初思っていました。
いま農林所のほうの事業では、環境配慮ということが求められていまして、農業も食糧増産だけでなくて、環境に配慮した農業をやっていこうということで進んでいます。干拓地の農家もいろいろ化学肥料や農業の歩合制限といったことに取り組みながら、いま現在やっています。少しは湖沼研究所さんとの距離感も縮まったのではないかなということで、この平成19年に農地水環境保全向上対策という事業ができまして、このなかで地域住民の方と協力しながら、農業や農村を守っていこうという事業なのですが、その活動組織としてグリーンアース河北潟というのを立ち上げました。その活動の中に、農村環境向上活動というのがありまして、これは農業農村の環境を守っていこうというものですけど、われわれ事務局というのは農業施設を管理する、それだけしか脳がないところでして、農家としても農業をすることが一番の仕事で、環境に関して全くの素人です。知識がないということで、湖沼研究所さんと今井さんの河北潟自然再生協議会さんに声をかけて、環境活動を中心に、計画から実践までいろいろご指導くださいねということで、参加をしていただきました。やっぱり参加していただくと、専門分野がたくさんあります。生態系、水質保全・・、われわれ知らないことをいっぱい知っていますので、非常に大きな力といいますか、戦力として農地水の活動に手伝っていただいています。
それで先ほどから湖沼研究所さんへの注文はということですけど、われわれが実際注文をつけるようなことは知識がないということもあって、なかなか申し上げられないのですが、これから環境ということが重視されてくるということになりますと、河北潟の水質が非常に悪いということがありますので、これが将来的に河北潟の水が綺麗になるような環境づくりをめざしていくことを考えて、ということが我々としては理想ではないかなと思います。生態系もそれに付随して、元に戻るということはないと思うのですが、良い環境が戻ってくるのではないかと思います。おたがいに農業と環境は相反するところはあると思いますが、河北潟の水辺環境を良くしていくことを目指して、一緒に議論を戦わせていければなと、いまは思っています。
司会 中出さん
ありがとうございます。さきほどあったわからないことというのは、どんどん言っていただければいいんじゃないかなと。いろんな知識の融合帯ということは考えられるので、わからないことはどんどん攻めていただければ、回答しなければいけないという義務もあるようなかたちも考えますので、ぜひ言ってきていただいて、活性化させるためにもお願いしたいと思います。
熊澤栄二さんより(国立石川工業高等専門学校)我々の学校というのは工業系です。農学あるいは生物学をもっている学校ではないので、専門からは非常に離れています。ただ従来通りの工業教育というのもなかなか難しい時代に入ってきました。他の分野と融合する形での工業教育というのも方向性として探られている昨今です。ぜひとも異分野の学校になりますけど、人を育てるという観点から、共同していくことはできないのかなと。難しいところは色々あるのですが、その可能性をぜひとも湖沼研究所とともに考えていきたいと考えています。
自然を破壊するということで、私自身が建築出身なのですが、耳の痛い話も良く聞きますけども、同時に工業というのは自然を修復するというほうにも、ぜひとも目を開いていかなければいけないと思います。そういう意味で、物作りを通じて湖沼研究所で培われてきた研究内容をわれわれの教育の中にもぜひともフィードバックするしくみを考えていただくことができれば非常に有り難いなというふうに考えています。
紹介させていただきたいことがあります。じつは石川高専がこのような場に呼んでいただいたことのひとつのきっかけとして、このような助成金をいただいたことがあります。ここに現代GPと書いていますけど、文部科学省のほうから大型の教育資金をいただきまして、なんとか学生教育をがんばれということで励まされてやっているところです。タイトルとしては「郷土愛育成による環境改善教育システムの構築」という結構長い名前ですが、簡単には「社会適応性の強い政策課題に汎用した、教育のテーマを設定しなさい。それに対して、できるだけ社会のニーズに即したような形で教育プログラムをつくってください。」ということでいま支援をいただいています。
石川高専は津幡駅のすぐ近くにあります。駅から4kmくらいしか離れていません。いま8号線や159号線バイパスがりっぱなものになったこともあり、いろんな意味で河北潟という地域の環境から切り離された場所であることは間違いないと思います。津幡の浅田という山の方にひっそりとあるのですが。河北潟だけを取り上げると、われわれの工学とは全然関係ないのですが、河北潟を一つの教育の素材と考えられないかなと考えました。単に工学といっても、それぞれバラバラの教育ではなくて、環境を一つのテーマとしながら、機械から、建築など5学科の全然違う専門を、ひとつ環境ということをテーマに入れながらできないだろうかと。それがもしかしたら将来の近い工学教育のスタイルになるんじゃないかなと想像していったわけです。それぞれ分野がありますが、河北潟という一つの大きな環境の系として問題を捉えることによって、なにか新しい工学の方向性が見いだせるのではないかなということが、我々がいまやろうとしている教育です。
はじめてまだ3年なので、湖沼研究所さんがやられているようなりっぱな取り組みもございません。まだよちよち歩きなのですが、今日高橋さんの話を聞いていてなるほどと、我々の将来がそこにあったかという感じがしました。なにを考えついたかというと、まず我々も河北潟から学ばなければならない。まず技術者にならなければならない、しっかり育成し、高学年に入ってから、環境をつくるということで工学的に表現していくというかたちで、人を育てるしくみをつくれないかなと。そのなかには河北潟との、住民のみなさんとの意見交換の場をつくっていかなければいけないかなという感じです。
仕組みですが、人の人材の循環、資源とか意識の循環。どういうことをやりたいか。河北潟は石川県にとって非常に大きな資源ですけど、大きな財産です。これを人を育ているベースにできないかなと。石川高専の学生さんを含めて、地域の周辺2市2町の子供達の教育の場ということで、どこか開放できないかなと。これは湖沼研究所さんがやられていることと近いところがあるかなと思います。
資源ということで工学的な視点ですが、いま我々のスタッフの中で考えていることは、水辺問題、水域としての問題かもしれません。大きな視点で見てみると、山林も含めた系で捉えられないかなと思っています。水辺だけを考えることもすごく難しいのですが、じつは資源を上手く回すことによって、河北潟のごくごく一部の問題ですけど、解決できる仕組みができないかなと。具体的には、竹の資源を資材化することによって、農家さんだとか、環境改善に使えないかということを考えているところです。まだまだ先の話ですが、こういうような形で、人と資源を上手く回すしくみ、こういったなかで湖沼研究所さんの重要な研究成果を活用させていただいたり、あるいは意見いただくことができたらなと考えています。
河北潟ということで、内灘町と協定を結んで教育をやりましょうということも、やってきています。実際に住民との関わりというと、河北潟の水というのはどうしても、いま内灘のほうでも「綺麗なことが理想的だよね。」ということもありました。いろんな市民の人のお話を聞いて、河北潟の水を簡単な形で、ある程度CODを下げるような取り組みできないのか、しかも目に見える形でということで考えました。内灘町の庁舎前のあの目立つ池なのですが、あそこを実験池として、実際に河北潟の原水を入れて、CODを下げることをやってまいりました。ある程度この取り組みに関しては評価をいただいたと思います。あと、子供達と環境教育などしています。さいごにですけど最終学年、専攻科2年の学習では、実際に物作りをとおして、河北潟の環境を工学の立場から色々と製作をとおしてやっていく。というのが我々の教育です。
繰り返しになりますが、今後学ばさせていただくことが多いですが、注文があるとしたら、工学とどういうかたちで手を組めるかということを考えていただきたい、また山林を含めた形での、大きな自然系として河北潟の問題を考えるということ、そういった視点に関して、またご意見を聞かせていただきたいと思います。
司会 中出さん
ありがとうございました。あとでこの議論はでてくると思いますが、研究所の藤木さんは竹を加工する、竹炭を作るということもしています。工学の関係で僕の知っているところでいいますと、IT農業がありますが、電子のICばかりしているところの関係子会社が、葉物野菜の工場をつくって契約栽培して出荷をし、もう管理、運営、販売などをすでに確率しているところがあります。河北潟湖沼研究所も農業、ITなども絡んでくるだろうし、逆に近づかなければならないという状況がでてくるのではと思います。よろしくお願いします。
須崎秀人さんより(株式会社エオネックス)わたしは株式会社エオネックスという地質系の会社にいます。私自身内灘町室地区に生まれ、かほく市の宇ノ気町で育ちました。中学生の頃に宇ノ気川の水質調査をして、その頃から環境的なことに関心を持っていました。さらに祖母が内灘試射場闘争に参加したということもあって、その辺の事情を聞いて以来、河北潟の歴史にも関心をもってやってきています。
仕事としては、下水道なり、地下水の汚染対策とか、水循環調査などの取り組みを行っており、そのひとつに環境保全上健全な水循環ということをしています。環境省の「健全な水循環の確保に向けた促進調査」という業務をさせていただきましたが、その際に水循環に関する全国的での取り組み状況を調査をするとともに、全国10箇所について現地での聞き取り調査をしました。そのひとつが河北潟湖沼研究所でした。
NPO法人は各地区にいろんな団体があって、非常に重要な役割をしています。とくにそのひとつとしては、市役所等の自治体とは異なる取り組みをして、自治体とコラボレーションして、地域の住民や、周辺市民、各種の専門家を巻き込んで、具体的な取り組みを推進する団体として展開し、そしてまた展開することが期待されています。当然、河北潟湖沼研究所もそういうことが期待されています。
一方で河北潟という地域的な事情からすると、ヒアリングさせていただいた時には、非常に活動がやりにくい側面があるんじゃないかなと思いました。大体はある程度まとまった自治体エリアにあるのですが、河北潟は2市2町に跨る各自治体の境界エリアにあり、複数の自治体が協力して、何らかの活動をしなければならない。理想的には、流域を単位とする取り組みとか、国の政策でも地方でもそういう考え方はしていますが、自治体のエリアを越える活動になると、足並みが揃わないということはよくあり、非常に展開が難しいということがあります。さらにこの国レベルで見た場合、河北潟はさきほどから言われているように農業の色彩が非常に強くて、その制限を乗り越えていかなければならない。そのことが金沢市の大きな45万都市近郊にありながらも、一定の自然環境が確保されている、ちょっとなんともいえない微妙な位置にあるように思います。
ふつう自治体がたとえば流域を単位としてなにかを行う場合には、協議会が設置され、協議会で横連携のための意見集約をしますが、だいたい協議会が実質報告会となり、報告会であるならば一年に一回で良いよと活動が停滞し、そのうち自然消滅するような傾向が多々あります。そして縦割り行政の問題もある。水環境に関わる部局は1つではなく、環境省関連、国土交通省関連、農水省関連それぞれがチームを組もうとしてしまいますので、その関係で非常に難しい。それを解決する方法として、ISO14001シリーズみたいな考え方で、自治体自らがそれに対してコミットするという考え方もあるのですが、実際に実現している実例は少ないように感じています。そのへんは自治体の長の考え方に寄りきりなので、なかなかそこまでいかないということがあります。そういうなかで、NPOはどう動くかという意味では、自治体エリアでは属していません。
自治体のエリアに影響を受けないNPO法人への期待があります。そういう意味ではNPOとしての河北潟湖沼研究所はこれからも必要ですし、河北潟というもの自体が実際に存在する限り、なんらかのかたちでNPOが必要である以上、NPOとしての河北潟湖沼研究所は重要であるというふうに考えられます。
実際にそういうふうに考えた場合に、各地ではどのようなことがおきているかというと、NPO法人というもの自体が難しいという。10年、20年、30年経つと、世代交代ができずに消えていく。NPO法人になる以前に、任意団体として活動していて、当時は40代、30年経つと70代、そして70になったら引退です。問題は、団体の多くが、ある程度地元で力のある人がやっていたことで、非常にカリスマ性が高く、その関係でなり手がいない、ということがよくあります。河北潟湖沼研究所の場合は、高橋さんにバトンタッチされて、すくなくともあと10年20年は大丈夫なのかなという印象がします。(笑)まず中心がいないと、組織は全くまとまらないので、中心を失ったところは、とりあえず形はありますけど、実際何もしていませんというところが結構ありますので、そういう意味では、まだできるという気がします。
一方で、どこの団体もそうなのですが、たとえばNPO法人自体が、行政作戦会議でNPOが自立していく形、「NPOには補助金をわざわざ配付することはしません。」というような仕組みが今後ますます強まりそうなので、基本的には経済自立してくださいという方向になると思います。ところが、じゃあそんなことできるのですかと、NPOでやりたいところでかなり苦しんでいるのは全国中ほとんどです。
どうして苦しい状況になるかというと、色んな事情がありますが、そもそも事業をするとなった時に、事業は仕事。仕事をするとなったら、自分勝手なというか、たとえば河北潟の作業をしなければならないので、いまのこの仕事をすることはできませんということがいえない、となるとどうなるかというと、実際にそこに当てはめられた人は、仕事をしないと活動ができないというジレンマがある。事業を始めると、事業に専念する人たちと、そうでない人と、仕分けをしたり、いろんな複雑な問題が起きてしまいます。いま一つの考え方としては、事業を分離して、株式法人なり、一定の法人化して、事業展開をすることがあります。あとはNPO法人自体を、完全にNPO中に事業を含められないので、会員のみでの運営にさせて、その代わり事業自体は小さくなってしまう、そういうことが余儀なくされます。いまは過渡期なので、はっきりどういうふうな選択をするかは難しいのですが、さきほどの高橋さんの説明の中のことで、ひとつは事業をどうおこすかということがあります。そういう支援を、いま政権が変わって、どういう支援の方法があるかわからないですけど、NPO法人が得意とする分野での産業育成とういことが一つ考えられると思います。今後、継続的に団体が続いていくためには、どうしても専従人材自体を一定枠確保しないと、活動自体が止まってしまう。そのようなことを考えています。
司会 中出さん
ありがとうございました。河北潟湖沼研究所自身が長い間かかえている問題だと思います。どうやって食っていくのか、どうやって活動に参加していくのというところだと思います。
(記録、高橋奈苗)