しかし、現地で聞いた数々の話は、私たちの心に突き刺さりました。第一印象は、皆さんたいへん明るく、また私たちにも気を使って下さり、日常は、それなりに希望を持って暮らしているのかと思いました。しかし、深くお話を聞いていくと、3.11以降、本当に厳しい状況の中で、たいへんな苦労をされてきたことがわかります。身内を亡くされた方、家を失った方、そして福島に特有のこととして、帰りたくても帰ることができない方や、家族がばらばらで避難することを余儀なくされている方々など、それぞれが心の奥に悲しみを抱えていらっしゃいます。
避難所での出来事や将来への不安など、最初はあまり話さなかったことも、一緒に焼イモを焼いたりする中で、いろいろと話してくれました。
当日は、20km圏内の小高区の一時帰宅の日で、2時過ぎに仮設住宅に戻られて来た方々からも話を聞くことができました。「少しでも戻れて良かった」という人もいましたが、「戻ってもしょうがないんだけどね。時間が短いので何もできないから」といったお話をされる方などいて、全体的にはあまり元気のない方が多かったように思いました。
そんな中でも、皆さんがとても優しかったのが印象的でした。
私たちも、いろいろな思いを受け取り、帰路につきました。
<帰路>
福島のホテルには18時20分につきました。とりあえず反省会をしました。翌日、磐越道から北陸道を通って河北潟に戻りました。
行きとは打って変わって快調な旅路となりました。行きの際、閉鎖されていた上越地域の区間は、高速道は雪の壁でした。快晴の中、河北潟干拓地に到着しました。
(上越地域は雪の壁)
(トラックも空荷で快調でしたが、往復の融雪剤を浴びて随分と汚れた)
(お疲れ様でした)