2月19日の夜明けは、マイナス6-7℃だったと思います。仮設住宅は寒いということは良く聞いていましたが、それを身にしみて感じた一夜でした。夕方から夜更けまでは、静かで過ごしやすい場所だと感じて床につきましたが、暖房を切ってしばらくすると、床からの冷気がじわじわと伝わってきて、体が心から冷えてくるのを感じます。このような状況の中で,被災地の皆さんは暮らしているのだなと、改めてそのたいへんさを感じました。
ほとんど眠れないまま、夜中の3時前には起きてしまいました。前日までのハードな準備と移動で、体は疲れ切っていましたが、これ以上は眠れずに、エアコンをつけこたつに入り、夜が明けるのを待ちました。
(静かな朝でした。仮設住宅団地からは朝餉の賑やかさは伝わってきません)
<活動日>
朝7時には、自治会長さんが心配して、見に来てくれました。住民3名に応援をお願いしたとのこと、それらの方々もすぐにやってきて、みんな開始と同時に一斉に集まるので、早めに準備した方が良いよとアドバイスをしてくれました。
8時から焼き芋機の火を入れて、そろそろと準備を始めていると、福島に戻っていた4名がやってきました。やがて応援の方々もやってきて、手際よく野菜の仕訳をしてくれました。10時から焼きいもやさん活動開始です。
(焼イモを焼くのと配達用の際の仕訳と同時進行です)
あたりが静かなので、はたして人が集まるか不安でしたが、応援の方の言葉通り、皆さん10時から次々と集まってくれました。焼イモを焼く作業が間に合いません。写真を撮る暇もありません。やや落ち着いたときに上の写真を撮っています。
(焼イモ機2機で、1時間に80本焼ける計算だが、なかなか間に合わない。焼担当は皆やけどしながら焼いていました)
一方で、焼イモ以外の野菜は全戸に配達しました。れんこん、さつまいも、さつまいもチップスに河北潟の案内パンフレット、レシピ、アンケート用紙などを同封して、各戸を訪ねて、配って歩きました。この活動では、仮設住宅団地の有志の方々が献身的にお手伝いいただき、軽トラも出して下さり、全戸に配達することができました。
(袋に野菜等を入れて、それぞれのお宅を訪ねました)
活動の目的の第一は,野菜を配ることですが、その他に、河北潟と南相馬市の皆様との交流のきっかけを作ることがあります。訪れた方には、積極的に河北潟のことを説明し、同時に震災の体験や仮設住宅での暮らしの様子などを聞き取りました。
(地元の専業農家の方など、河北潟に関心を持って熱心に質問をされていました)
12時から午後2時までは、ほとんど人が来ませんでしたが、お手伝いの方の予告通り、2時過ぎになるとぼちぼちと人がやってきました。同日が、原発20km圏内の小高地区の一時帰宅日になっているということで、家の様子を見に戻っていた方々が帰ってきたからです。3時くらいからまた急に忙しくなりました。
午後4時までに、焼きいも600個を焼きました。私たちいずれも人生の新記録です。米や古代米、その他一部余った野菜は協力していただいた地元企業の社員の方々にお分けした他、その企業を通じて相馬市柚木地区で配布いただけることとなりました。後片付けをして、現地ボランティアの人と記念写真を撮り、今後の再会を誓い、南相馬を後にしました。
(現地ボランティアの方々と記念撮影)