飯舘村では、南相馬市に繋がる道は比較的多くの車の往来がありましたが、人の姿は一時帰宅されている方をわずかに見ただけでした。
南相馬市では、スーパーやコンビニも開業しており、町は機能を取り戻しつつあるようでした。避難している人もいるということでしたが、町では普通に車が行き交い、買い物をする人の姿も見られました。今回お世話になった会社も通常の営業を行っていました。ただ郊外では姿をとどめている農地も耕作はされておらず荒れたままになっています。
津波の被害を逃れた場所でも昨年度の水田耕作は行われませんでした。所々に野菜を作っている人もいましたが、あまり収穫されている様子は見られませんでした。収穫されずに残っている柿も見られました。
海岸に近い低地の田んぼは、がれきは取り除かれてきていますが、津波が襲った跡が生々しく残っています。一部水没している場所も見られました。
主に県外産の農産物は入ってきており、農産物は流通しています。毎日の食べ物は足りているということですが、地元では、農業ができない状態がしばらく続きそうです。
こうした地域で、河北潟産の新鮮な野菜を食べてもらえたらと、生産者の団体も加わる「河北潟の水辺を守り隊」に提案したところ、皆さんより賛成していただき、積極的な取組を行うことととなりました。
「河北潟の水辺を守り隊」
募金を通じて河北潟地域の人と福島の方々との交流も広げたいと思います。募金への積極的なご協力をお願いいたします。
飯舘村の水田は雑草に覆われていた。
南相馬市へ向かう途中の田んぼの様子。23年の耕作はされていない。
南相馬市の山側のほ場は、津波の被災は免れた。また放射線量もそれほど高くないが、山の上にある水源のダムが汚染されており、農業再開への課題となっている。
稲作ができないために、牧草の種子を播き、ただ刈り取っている農家もいた。大根も育っていたが、あまり収穫されていない様子だった。何かせずにはいられない心境がよく分かる。
原ノ町駅付近。さび付いた線路。 このあと相馬〜原ノ町間が開通した。
原ノ町駅に近い東ヶ丘公園。犬を連れて散歩している人や山の様子を見に来ている人たちもいた。双眼鏡を持って歩いている私を見かけてわざわざ近づいてきた人に、車で下まで送ってもらった。
南相馬市の市街地では、以外にも放射線量は低く、私の簡易メータでは、せいぜい石川県の2倍程度の放射線量の場所もあった。現地を訪れてみると、それまで県外から浜通地区をすべて一緒と見ていた自分に気がつく。30kmなどの区切りでなく、科学的にきちんと細かく見て、地域毎にどのような対策が適切なのかを分析することが重要と認識した。
海岸に近い水田地帯は、津波の跡が所々に見られた。ここは既に重機で均されていて、仮設の電柱も立っていた。
干拓地は水没していなかったが、かなりの奥まで波が押し寄せた様子があった。
文責 高橋久