手植えのため田転がしを使って印をつけます。こういう道具が農家には残っています。
Copyright (C)2009-10 Kahokugata Lake Institute.
2012年05月04日
2012年04月15日
2012年03月28日
第18回河北潟クリーン作戦のお知らせ
第18回河北潟クリーン作戦を実施します
「河北潟クリーン作戦」、第18回は、以下の日程で実施します。
日 時 2012年4月15日(日) 午前9:00〜10:00(小雨決行)
集合場所 河北潟湖沼研究所の担当は津幡地区となります。集合場所は、津幡漕艇場です。
作業内容 河北潟の護岸沿いや水際付近に漂着したり、投棄されているゴミを拾います。
主催:河北潟自然再生協議会
協力:河北潟環境対策期成同盟会(金沢市、津幡町、内灘町、かほく市)・河北潟水質浄化連絡協議会
後援:石川県・河北潟沿岸土地改良区・河北潟干拓土地改良区・グリーン・アース河北潟
clean18.pdf
「河北潟クリーン作戦」、第18回は、以下の日程で実施します。
日 時 2012年4月15日(日) 午前9:00〜10:00(小雨決行)
集合場所 河北潟湖沼研究所の担当は津幡地区となります。集合場所は、津幡漕艇場です。
作業内容 河北潟の護岸沿いや水際付近に漂着したり、投棄されているゴミを拾います。
主催:河北潟自然再生協議会
協力:河北潟環境対策期成同盟会(金沢市、津幡町、内灘町、かほく市)・河北潟水質浄化連絡協議会
後援:石川県・河北潟沿岸土地改良区・河北潟干拓土地改良区・グリーン・アース河北潟
clean18.pdf
2012年03月18日
福島に河北潟の野菜を送る
福島に野菜を送る活動の第2弾は、相馬市で行われる護摩供養へ野菜をお供えするとともに、相馬市の被災者に野菜を配ることでした。
3月11日早朝に河北潟を出発しました。現地は雪という情報がありましたが、何とか予定より早く、相馬市中村城跡に到着しました。ここで、護摩供養を行う取り組みをされている、井本香如住職のお手配で、供養の式典に参加するとともに、河北潟の野菜をお供えいただき、相馬市の参加者の方々に配ることになりました。また会場で配り切れないものは、相馬市のNPO法人「この指とまれ」のメンバーにお願いして、相馬市内の在宅被災者の方々に配布いただくことになりました。
今回は、干拓地のれんこん250kg、砂丘地のさつまいも50kg、有志よりの提供いただいた八田産のネギ30kg、かほく市産のネギ30kgを持って行きました。河北潟の水辺を守り隊からは4名が参加しました。



3月11日早朝に河北潟を出発しました。現地は雪という情報がありましたが、何とか予定より早く、相馬市中村城跡に到着しました。ここで、護摩供養を行う取り組みをされている、井本香如住職のお手配で、供養の式典に参加するとともに、河北潟の野菜をお供えいただき、相馬市の参加者の方々に配ることになりました。また会場で配り切れないものは、相馬市のNPO法人「この指とまれ」のメンバーにお願いして、相馬市内の在宅被災者の方々に配布いただくことになりました。
今回は、干拓地のれんこん250kg、砂丘地のさつまいも50kg、有志よりの提供いただいた八田産のネギ30kg、かほく市産のネギ30kgを持って行きました。河北潟の水辺を守り隊からは4名が参加しました。
2012年03月13日
2012年02月24日
第5回河北潟セミナー
第5回の今回は、河北潟の営農と自然再生を考える際に重要な、沿岸の用排水管理,特に水位管理の仕組みについて具体的に学ぶことを主題とし、以下の要領で開催いたします。
タイトル: 「河北潟干拓と沿岸地域の排水対策」
話題提供者: 長原克信 氏(河北潟沿岸土地改良区 事務局長)
内容: 河北潟干拓の概要と、河北潟(残存水面)と沿岸地域の排水状況について
日時: 2月28日(火曜日)18:30-20:30
場所: 特定非営利活動法人河北潟湖沼研究所
〒929-0342 石川県河北郡津幡町北中条ナ9-9
タイトル: 「河北潟干拓と沿岸地域の排水対策」
話題提供者: 長原克信 氏(河北潟沿岸土地改良区 事務局長)
内容: 河北潟干拓の概要と、河北潟(残存水面)と沿岸地域の排水状況について
日時: 2月28日(火曜日)18:30-20:30
場所: 特定非営利活動法人河北潟湖沼研究所
〒929-0342 石川県河北郡津幡町北中条ナ9-9
2012年02月22日
南相馬に野菜を届け隊(番外編:被災地の様子)
活動日の正午から午後2時の間は、訪れる人も少なく手が空きましたので、2グループに分かれ、順番に被災地の状況を見に行きました。
国道6号線の付近では、流された船がまだそのまま残っていました。道の両側は、少しずつがれきの除去が進んでいて、表面の土砂が圃場中央に集められている場所もありました。
海岸沿いの道は、歩道が壊れていたり、ガードレールや道路標識が壊れてそのままであったりして、復興が進んでいないことがわかります。この点では、1月に訪れた石巻で、普及が遅れているとはいえ、確実に始まっていたこととは、対照的でした。今回、活動に参加した人達の多くは、普段は圃場の施設管理を行っている人達ですので、そうした施設の破壊に目が行くようで、ポンプ場や水門の状態がひどいことを気にかけていました。また圃場の普及ははたして出来るのか、プロの目からは厳しい現実が見て取れるようでした。
海岸に近い圃場では、住民が集まって何とか復興しようと、手作業でがれきの除去を始めている現場を見ることができました。お年寄りが多くたいへんそうでした。
それでも沈下した圃場では、ハクチョウが餌をついばんでいました。その他、タゲリやノスリなどの野鳥と遭遇しました。

(破壊された道路の歩道、この反対側には仮設の電柱が立てられていた)

(除染作業は進んでいないと思われるが、既に耕耘されたり、表面土砂が集められている圃場もあった)

(住宅がたくさん流された)

(海沿いにはがれきが積み上げられていた)

(破壊されガードレールや標識がそのままの状態、全く普及が進んでいない。道路脇にがれきが残っている場所もあった)

(ハクチョウの群れ。沈下した圃場が餌場になっていた)

(1回目のグループが見たときには集会場から人がぞろぞろと出てくるところだった。その後、皆でがれき集めを始めたが、第2グループが来たときには、みな途方に暮れた感じで法面にへたり込んでいた)
国道6号線の付近では、流された船がまだそのまま残っていました。道の両側は、少しずつがれきの除去が進んでいて、表面の土砂が圃場中央に集められている場所もありました。
海岸沿いの道は、歩道が壊れていたり、ガードレールや道路標識が壊れてそのままであったりして、復興が進んでいないことがわかります。この点では、1月に訪れた石巻で、普及が遅れているとはいえ、確実に始まっていたこととは、対照的でした。今回、活動に参加した人達の多くは、普段は圃場の施設管理を行っている人達ですので、そうした施設の破壊に目が行くようで、ポンプ場や水門の状態がひどいことを気にかけていました。また圃場の普及ははたして出来るのか、プロの目からは厳しい現実が見て取れるようでした。
海岸に近い圃場では、住民が集まって何とか復興しようと、手作業でがれきの除去を始めている現場を見ることができました。お年寄りが多くたいへんそうでした。
それでも沈下した圃場では、ハクチョウが餌をついばんでいました。その他、タゲリやノスリなどの野鳥と遭遇しました。
(破壊された道路の歩道、この反対側には仮設の電柱が立てられていた)
(除染作業は進んでいないと思われるが、既に耕耘されたり、表面土砂が集められている圃場もあった)
(住宅がたくさん流された)
(海沿いにはがれきが積み上げられていた)
(破壊されガードレールや標識がそのままの状態、全く普及が進んでいない。道路脇にがれきが残っている場所もあった)
(ハクチョウの群れ。沈下した圃場が餌場になっていた)
(1回目のグループが見たときには集会場から人がぞろぞろと出てくるところだった。その後、皆でがれき集めを始めたが、第2グループが来たときには、みな途方に暮れた感じで法面にへたり込んでいた)
南相馬に野菜を届け隊(後編:戻る)
2月19日は、野菜を配りきり、人生の新記録の焼いもを焼き、現地の皆様にも本当に心から喜んでいたいだけたようで、一応の活動の成功となりました。
しかし、現地で聞いた数々の話は、私たちの心に突き刺さりました。第一印象は、皆さんたいへん明るく、また私たちにも気を使って下さり、日常は、それなりに希望を持って暮らしているのかと思いました。しかし、深くお話を聞いていくと、3.11以降、本当に厳しい状況の中で、たいへんな苦労をされてきたことがわかります。身内を亡くされた方、家を失った方、そして福島に特有のこととして、帰りたくても帰ることができない方や、家族がばらばらで避難することを余儀なくされている方々など、それぞれが心の奥に悲しみを抱えていらっしゃいます。
避難所での出来事や将来への不安など、最初はあまり話さなかったことも、一緒に焼イモを焼いたりする中で、いろいろと話してくれました。
当日は、20km圏内の小高区の一時帰宅の日で、2時過ぎに仮設住宅に戻られて来た方々からも話を聞くことができました。「少しでも戻れて良かった」という人もいましたが、「戻ってもしょうがないんだけどね。時間が短いので何もできないから」といったお話をされる方などいて、全体的にはあまり元気のない方が多かったように思いました。
そんな中でも、皆さんがとても優しかったのが印象的でした。
私たちも、いろいろな思いを受け取り、帰路につきました。
<帰路>
福島のホテルには18時20分につきました。とりあえず反省会をしました。翌日、磐越道から北陸道を通って河北潟に戻りました。
行きとは打って変わって快調な旅路となりました。行きの際、閉鎖されていた上越地域の区間は、高速道は雪の壁でした。快晴の中、河北潟干拓地に到着しました。

(上越地域は雪の壁)

(トラックも空荷で快調でしたが、往復の融雪剤を浴びて随分と汚れた)

(お疲れ様でした)
しかし、現地で聞いた数々の話は、私たちの心に突き刺さりました。第一印象は、皆さんたいへん明るく、また私たちにも気を使って下さり、日常は、それなりに希望を持って暮らしているのかと思いました。しかし、深くお話を聞いていくと、3.11以降、本当に厳しい状況の中で、たいへんな苦労をされてきたことがわかります。身内を亡くされた方、家を失った方、そして福島に特有のこととして、帰りたくても帰ることができない方や、家族がばらばらで避難することを余儀なくされている方々など、それぞれが心の奥に悲しみを抱えていらっしゃいます。
避難所での出来事や将来への不安など、最初はあまり話さなかったことも、一緒に焼イモを焼いたりする中で、いろいろと話してくれました。
当日は、20km圏内の小高区の一時帰宅の日で、2時過ぎに仮設住宅に戻られて来た方々からも話を聞くことができました。「少しでも戻れて良かった」という人もいましたが、「戻ってもしょうがないんだけどね。時間が短いので何もできないから」といったお話をされる方などいて、全体的にはあまり元気のない方が多かったように思いました。
そんな中でも、皆さんがとても優しかったのが印象的でした。
私たちも、いろいろな思いを受け取り、帰路につきました。
<帰路>
福島のホテルには18時20分につきました。とりあえず反省会をしました。翌日、磐越道から北陸道を通って河北潟に戻りました。
行きとは打って変わって快調な旅路となりました。行きの際、閉鎖されていた上越地域の区間は、高速道は雪の壁でした。快晴の中、河北潟干拓地に到着しました。
(上越地域は雪の壁)
(トラックも空荷で快調でしたが、往復の融雪剤を浴びて随分と汚れた)
(お疲れ様でした)
南相馬に野菜を届け隊(中編:野菜を配る)
<活動日前夜>
2月19日の夜明けは、マイナス6-7℃だったと思います。仮設住宅は寒いということは良く聞いていましたが、それを身にしみて感じた一夜でした。夕方から夜更けまでは、静かで過ごしやすい場所だと感じて床につきましたが、暖房を切ってしばらくすると、床からの冷気がじわじわと伝わってきて、体が心から冷えてくるのを感じます。このような状況の中で,被災地の皆さんは暮らしているのだなと、改めてそのたいへんさを感じました。
ほとんど眠れないまま、夜中の3時前には起きてしまいました。前日までのハードな準備と移動で、体は疲れ切っていましたが、これ以上は眠れずに、エアコンをつけこたつに入り、夜が明けるのを待ちました。

(静かな朝でした。仮設住宅団地からは朝餉の賑やかさは伝わってきません)
<活動日>
朝7時には、自治会長さんが心配して、見に来てくれました。住民3名に応援をお願いしたとのこと、それらの方々もすぐにやってきて、みんな開始と同時に一斉に集まるので、早めに準備した方が良いよとアドバイスをしてくれました。
8時から焼き芋機の火を入れて、そろそろと準備を始めていると、福島に戻っていた4名がやってきました。やがて応援の方々もやってきて、手際よく野菜の仕訳をしてくれました。10時から焼きいもやさん活動開始です。

(焼イモを焼くのと配達用の際の仕訳と同時進行です)
あたりが静かなので、はたして人が集まるか不安でしたが、応援の方の言葉通り、皆さん10時から次々と集まってくれました。焼イモを焼く作業が間に合いません。写真を撮る暇もありません。やや落ち着いたときに上の写真を撮っています。

(焼イモ機2機で、1時間に80本焼ける計算だが、なかなか間に合わない。焼担当は皆やけどしながら焼いていました)
一方で、焼イモ以外の野菜は全戸に配達しました。れんこん、さつまいも、さつまいもチップスに河北潟の案内パンフレット、レシピ、アンケート用紙などを同封して、各戸を訪ねて、配って歩きました。この活動では、仮設住宅団地の有志の方々が献身的にお手伝いいただき、軽トラも出して下さり、全戸に配達することができました。

(袋に野菜等を入れて、それぞれのお宅を訪ねました)
活動の目的の第一は,野菜を配ることですが、その他に、河北潟と南相馬市の皆様との交流のきっかけを作ることがあります。訪れた方には、積極的に河北潟のことを説明し、同時に震災の体験や仮設住宅での暮らしの様子などを聞き取りました。

(地元の専業農家の方など、河北潟に関心を持って熱心に質問をされていました)
12時から午後2時までは、ほとんど人が来ませんでしたが、お手伝いの方の予告通り、2時過ぎになるとぼちぼちと人がやってきました。同日が、原発20km圏内の小高地区の一時帰宅日になっているということで、家の様子を見に戻っていた方々が帰ってきたからです。3時くらいからまた急に忙しくなりました。
午後4時までに、焼きいも600個を焼きました。私たちいずれも人生の新記録です。米や古代米、その他一部余った野菜は協力していただいた地元企業の社員の方々にお分けした他、その企業を通じて相馬市柚木地区で配布いただけることとなりました。後片付けをして、現地ボランティアの人と記念写真を撮り、今後の再会を誓い、南相馬を後にしました。

(現地ボランティアの方々と記念撮影)
2月19日の夜明けは、マイナス6-7℃だったと思います。仮設住宅は寒いということは良く聞いていましたが、それを身にしみて感じた一夜でした。夕方から夜更けまでは、静かで過ごしやすい場所だと感じて床につきましたが、暖房を切ってしばらくすると、床からの冷気がじわじわと伝わってきて、体が心から冷えてくるのを感じます。このような状況の中で,被災地の皆さんは暮らしているのだなと、改めてそのたいへんさを感じました。
ほとんど眠れないまま、夜中の3時前には起きてしまいました。前日までのハードな準備と移動で、体は疲れ切っていましたが、これ以上は眠れずに、エアコンをつけこたつに入り、夜が明けるのを待ちました。
(静かな朝でした。仮設住宅団地からは朝餉の賑やかさは伝わってきません)
<活動日>
朝7時には、自治会長さんが心配して、見に来てくれました。住民3名に応援をお願いしたとのこと、それらの方々もすぐにやってきて、みんな開始と同時に一斉に集まるので、早めに準備した方が良いよとアドバイスをしてくれました。
8時から焼き芋機の火を入れて、そろそろと準備を始めていると、福島に戻っていた4名がやってきました。やがて応援の方々もやってきて、手際よく野菜の仕訳をしてくれました。10時から焼きいもやさん活動開始です。
(焼イモを焼くのと配達用の際の仕訳と同時進行です)
あたりが静かなので、はたして人が集まるか不安でしたが、応援の方の言葉通り、皆さん10時から次々と集まってくれました。焼イモを焼く作業が間に合いません。写真を撮る暇もありません。やや落ち着いたときに上の写真を撮っています。
(焼イモ機2機で、1時間に80本焼ける計算だが、なかなか間に合わない。焼担当は皆やけどしながら焼いていました)
一方で、焼イモ以外の野菜は全戸に配達しました。れんこん、さつまいも、さつまいもチップスに河北潟の案内パンフレット、レシピ、アンケート用紙などを同封して、各戸を訪ねて、配って歩きました。この活動では、仮設住宅団地の有志の方々が献身的にお手伝いいただき、軽トラも出して下さり、全戸に配達することができました。
(袋に野菜等を入れて、それぞれのお宅を訪ねました)
活動の目的の第一は,野菜を配ることですが、その他に、河北潟と南相馬市の皆様との交流のきっかけを作ることがあります。訪れた方には、積極的に河北潟のことを説明し、同時に震災の体験や仮設住宅での暮らしの様子などを聞き取りました。
(地元の専業農家の方など、河北潟に関心を持って熱心に質問をされていました)
12時から午後2時までは、ほとんど人が来ませんでしたが、お手伝いの方の予告通り、2時過ぎになるとぼちぼちと人がやってきました。同日が、原発20km圏内の小高地区の一時帰宅日になっているということで、家の様子を見に戻っていた方々が帰ってきたからです。3時くらいからまた急に忙しくなりました。
午後4時までに、焼きいも600個を焼きました。私たちいずれも人生の新記録です。米や古代米、その他一部余った野菜は協力していただいた地元企業の社員の方々にお分けした他、その企業を通じて相馬市柚木地区で配布いただけることとなりました。後片付けをして、現地ボランティアの人と記念写真を撮り、今後の再会を誓い、南相馬を後にしました。
(現地ボランティアの方々と記念撮影)
南相馬に野菜を届け隊(前編:現地に着くまで)
河北潟の水辺を守り隊として、南相馬市の被災者に河北潟の野菜を届けました。河北潟湖沼研究所からも2名が参加して、一行6名で南相馬市まで野菜を運び、自らの手で200戸の仮設住宅の方々へ河北潟の野菜を手渡しました。
この活動は昨年暮れに、河北潟の水辺を守り隊の臨時活動会議で提起されたもので、河北潟地域の人達から募金を募り、集まったお金で河北潟の野菜を購入し、南相馬市の人達に食べてもらおうという取り組みです。1月からの募金開始で1月末時点で70万円を超える募金が集まりましたので、2月19日に第一弾の配達を行いました。このブログで、その時の様子をお伝えします。
<出発の朝>
活動前日の2月18日は移動日でした。
この冬で最も雪の降った朝、河北潟干拓地にある金沢れんこん組合の集荷場にて7時より野菜の積み込み作業を行いました。その場で出発式を行い、2トントラック1台、乗用車1台に6名が分乗して、一路、福島県南相馬市を目指しました。

(トラックにれんこんを積み込みます)

(焼き芋機などの機材を含め、トラックの荷台はほぼ満杯)
<雪の中の移動>
河北潟干拓地は約15cmの積雪で、出発はじめからアイスバーンの道をゆっくりと進み、高速道に入りました。期待ははかなく消え、高速道路も圧雪状態の悪路で、慎重に進みました。何とか富山県内を抜けることが出来ましたが、新潟県に入ると、通行止めとの表示がありました。除雪のための通行止めでした。結局、 能生インターチェンジから国道8号線で柿崎インターチェンジを目指しました。
予定より約1時間遅れで、柿崎インターチェンジに入り、新潟県内は所々圧雪状態がありましたが、スムーズに進みました。ところが
新潟県境を越え福島県に入ったところで、事故のため再び通行止め、西会津から会津坂下間は一般道を走りました。会津に入ると、天気は一転して晴天。その後福島西インターまで快調に高速道路を走りました。
一般道を南会津に向かしました。途中、線量の高い飯舘村を通過しました。基本的に全村避難しているので、車は行き交っているものの、人はほとんど見かけません。家のカーテンは閉まり、田畑は荒れ放題になっています。

(飯舘村から南相馬市に入るあたり。徐々に線量計の数値は下がってくる)
南相馬市に入ると、商店も開いており、普通に生活する人たちの姿が増えてきます。
目的の仮設住宅団地が見えてきた時には午後5時を回っていました。通行止め待機中に蓮台寺サービスエリアで軽い食事を取っていたので良かったのですが、ここまで運転手の交代時とトイレ以外は、ずっと走り続けていきました。
<到着>
仮設住宅では、自治会長さんと、協力いただいている地元企業の方々が出迎えてくれました。仮設住宅の掲示板には、あらかじめ送っておいた活動についてのお知らせのポスターが貼ってありました。各家庭にもチラシを配っていただいているとのことでした。

(集会所前の掲示板、焼イモのポスターが目立ってました)
皆さんに手伝ってもらい、野菜を集会所に運び込み、焼き芋機の試験をして、前日の準備が終わりました。日はとっくに暮れていました。留守番の2名は仮設住宅の集会所に泊まらせてもらうことに、他の4名は、浜通地区でのホテルが満杯でしたので、真っ暗な中、いったん福島市まで1時間半の道のりを戻りました。

(荷物を下ろします)

(集会場に運び込まれた野菜たち、明日の出番を待ちます)
この活動は昨年暮れに、河北潟の水辺を守り隊の臨時活動会議で提起されたもので、河北潟地域の人達から募金を募り、集まったお金で河北潟の野菜を購入し、南相馬市の人達に食べてもらおうという取り組みです。1月からの募金開始で1月末時点で70万円を超える募金が集まりましたので、2月19日に第一弾の配達を行いました。このブログで、その時の様子をお伝えします。
<出発の朝>
活動前日の2月18日は移動日でした。
この冬で最も雪の降った朝、河北潟干拓地にある金沢れんこん組合の集荷場にて7時より野菜の積み込み作業を行いました。その場で出発式を行い、2トントラック1台、乗用車1台に6名が分乗して、一路、福島県南相馬市を目指しました。
(トラックにれんこんを積み込みます)
(焼き芋機などの機材を含め、トラックの荷台はほぼ満杯)
<雪の中の移動>
河北潟干拓地は約15cmの積雪で、出発はじめからアイスバーンの道をゆっくりと進み、高速道に入りました。期待ははかなく消え、高速道路も圧雪状態の悪路で、慎重に進みました。何とか富山県内を抜けることが出来ましたが、新潟県に入ると、通行止めとの表示がありました。除雪のための通行止めでした。結局、 能生インターチェンジから国道8号線で柿崎インターチェンジを目指しました。
予定より約1時間遅れで、柿崎インターチェンジに入り、新潟県内は所々圧雪状態がありましたが、スムーズに進みました。ところが
新潟県境を越え福島県に入ったところで、事故のため再び通行止め、西会津から会津坂下間は一般道を走りました。会津に入ると、天気は一転して晴天。その後福島西インターまで快調に高速道路を走りました。
一般道を南会津に向かしました。途中、線量の高い飯舘村を通過しました。基本的に全村避難しているので、車は行き交っているものの、人はほとんど見かけません。家のカーテンは閉まり、田畑は荒れ放題になっています。
(飯舘村から南相馬市に入るあたり。徐々に線量計の数値は下がってくる)
南相馬市に入ると、商店も開いており、普通に生活する人たちの姿が増えてきます。
目的の仮設住宅団地が見えてきた時には午後5時を回っていました。通行止め待機中に蓮台寺サービスエリアで軽い食事を取っていたので良かったのですが、ここまで運転手の交代時とトイレ以外は、ずっと走り続けていきました。
<到着>
仮設住宅では、自治会長さんと、協力いただいている地元企業の方々が出迎えてくれました。仮設住宅の掲示板には、あらかじめ送っておいた活動についてのお知らせのポスターが貼ってありました。各家庭にもチラシを配っていただいているとのことでした。
(集会所前の掲示板、焼イモのポスターが目立ってました)
皆さんに手伝ってもらい、野菜を集会所に運び込み、焼き芋機の試験をして、前日の準備が終わりました。日はとっくに暮れていました。留守番の2名は仮設住宅の集会所に泊まらせてもらうことに、他の4名は、浜通地区でのホテルが満杯でしたので、真っ暗な中、いったん福島市まで1時間半の道のりを戻りました。
(荷物を下ろします)
(集会場に運び込まれた野菜たち、明日の出番を待ちます)
2012年01月09日
北上川のヨシ刈り
河北潟の水辺を守り隊の交流活動の一環として、宮城県石巻市のヨシ刈りボランティアに参加してきました。
全国から集まってきた人たちと交流するとともに、現地のヨシ場のがれき除去や刈り取り作業の手伝いをしました。
石巻市には8月にも訪れてますが、今回は北上川河口まで様子を見ることができました。8月には市内の信号も回復しておらず、自動車も少なかったのですが、今回は多くの車や人が行き交い、製紙工場の煙突からは煙が立ち上り、確実に復興が進んでいることを感じました。しかし、河口近くの状況からは、改めて津波の猛威を思い知らされました。民家は流され、公共施設の残骸がそのまま残っていました。地盤沈下もあり農地の回復には、まだまだ時間が必要と感じました。(高橋久)
全国から集まってきた人たちと交流するとともに、現地のヨシ場のがれき除去や刈り取り作業の手伝いをしました。
石巻市には8月にも訪れてますが、今回は北上川河口まで様子を見ることができました。8月には市内の信号も回復しておらず、自動車も少なかったのですが、今回は多くの車や人が行き交い、製紙工場の煙突からは煙が立ち上り、確実に復興が進んでいることを感じました。しかし、河口近くの状況からは、改めて津波の猛威を思い知らされました。民家は流され、公共施設の残骸がそのまま残っていました。地盤沈下もあり農地の回復には、まだまだ時間が必要と感じました。(高橋久)
福島の状況
昨年12月14日〜15日に福島県飯舘村を通り南相馬市を訪問しました。
飯舘村では、南相馬市に繋がる道は比較的多くの車の往来がありましたが、人の姿は一時帰宅されている方をわずかに見ただけでした。
南相馬市では、スーパーやコンビニも開業しており、町は機能を取り戻しつつあるようでした。避難している人もいるということでしたが、町では普通に車が行き交い、買い物をする人の姿も見られました。今回お世話になった会社も通常の営業を行っていました。ただ郊外では姿をとどめている農地も耕作はされておらず荒れたままになっています。
津波の被害を逃れた場所でも昨年度の水田耕作は行われませんでした。所々に野菜を作っている人もいましたが、あまり収穫されている様子は見られませんでした。収穫されずに残っている柿も見られました。
海岸に近い低地の田んぼは、がれきは取り除かれてきていますが、津波が襲った跡が生々しく残っています。一部水没している場所も見られました。
主に県外産の農産物は入ってきており、農産物は流通しています。毎日の食べ物は足りているということですが、地元では、農業ができない状態がしばらく続きそうです。
こうした地域で、河北潟産の新鮮な野菜を食べてもらえたらと、生産者の団体も加わる「河北潟の水辺を守り隊」に提案したところ、皆さんより賛成していただき、積極的な取組を行うことととなりました。
「河北潟の水辺を守り隊」
募金を通じて河北潟地域の人と福島の方々との交流も広げたいと思います。募金への積極的なご協力をお願いいたします。

飯舘村の水田は雑草に覆われていた。

南相馬市へ向かう途中の田んぼの様子。23年の耕作はされていない。

南相馬市の山側のほ場は、津波の被災は免れた。また放射線量もそれほど高くないが、山の上にある水源のダムが汚染されており、農業再開への課題となっている。

稲作ができないために、牧草の種子を播き、ただ刈り取っている農家もいた。大根も育っていたが、あまり収穫されていない様子だった。何かせずにはいられない心境がよく分かる。

原ノ町駅付近。さび付いた線路。 このあと相馬〜原ノ町間が開通した。

原ノ町駅に近い東ヶ丘公園。犬を連れて散歩している人や山の様子を見に来ている人たちもいた。双眼鏡を持って歩いている私を見かけてわざわざ近づいてきた人に、車で下まで送ってもらった。
南相馬市の市街地では、以外にも放射線量は低く、私の簡易メータでは、せいぜい石川県の2倍程度の放射線量の場所もあった。現地を訪れてみると、それまで県外から浜通地区をすべて一緒と見ていた自分に気がつく。30kmなどの区切りでなく、科学的にきちんと細かく見て、地域毎にどのような対策が適切なのかを分析することが重要と認識した。

海岸に近い水田地帯は、津波の跡が所々に見られた。ここは既に重機で均されていて、仮設の電柱も立っていた。

干拓地は水没していなかったが、かなりの奥まで波が押し寄せた様子があった。
文責 高橋久
飯舘村では、南相馬市に繋がる道は比較的多くの車の往来がありましたが、人の姿は一時帰宅されている方をわずかに見ただけでした。
南相馬市では、スーパーやコンビニも開業しており、町は機能を取り戻しつつあるようでした。避難している人もいるということでしたが、町では普通に車が行き交い、買い物をする人の姿も見られました。今回お世話になった会社も通常の営業を行っていました。ただ郊外では姿をとどめている農地も耕作はされておらず荒れたままになっています。
津波の被害を逃れた場所でも昨年度の水田耕作は行われませんでした。所々に野菜を作っている人もいましたが、あまり収穫されている様子は見られませんでした。収穫されずに残っている柿も見られました。
海岸に近い低地の田んぼは、がれきは取り除かれてきていますが、津波が襲った跡が生々しく残っています。一部水没している場所も見られました。
主に県外産の農産物は入ってきており、農産物は流通しています。毎日の食べ物は足りているということですが、地元では、農業ができない状態がしばらく続きそうです。
こうした地域で、河北潟産の新鮮な野菜を食べてもらえたらと、生産者の団体も加わる「河北潟の水辺を守り隊」に提案したところ、皆さんより賛成していただき、積極的な取組を行うことととなりました。
「河北潟の水辺を守り隊」
募金を通じて河北潟地域の人と福島の方々との交流も広げたいと思います。募金への積極的なご協力をお願いいたします。
飯舘村の水田は雑草に覆われていた。
南相馬市へ向かう途中の田んぼの様子。23年の耕作はされていない。
南相馬市の山側のほ場は、津波の被災は免れた。また放射線量もそれほど高くないが、山の上にある水源のダムが汚染されており、農業再開への課題となっている。
稲作ができないために、牧草の種子を播き、ただ刈り取っている農家もいた。大根も育っていたが、あまり収穫されていない様子だった。何かせずにはいられない心境がよく分かる。
原ノ町駅付近。さび付いた線路。 このあと相馬〜原ノ町間が開通した。
原ノ町駅に近い東ヶ丘公園。犬を連れて散歩している人や山の様子を見に来ている人たちもいた。双眼鏡を持って歩いている私を見かけてわざわざ近づいてきた人に、車で下まで送ってもらった。
南相馬市の市街地では、以外にも放射線量は低く、私の簡易メータでは、せいぜい石川県の2倍程度の放射線量の場所もあった。現地を訪れてみると、それまで県外から浜通地区をすべて一緒と見ていた自分に気がつく。30kmなどの区切りでなく、科学的にきちんと細かく見て、地域毎にどのような対策が適切なのかを分析することが重要と認識した。
海岸に近い水田地帯は、津波の跡が所々に見られた。ここは既に重機で均されていて、仮設の電柱も立っていた。
干拓地は水没していなかったが、かなりの奥まで波が押し寄せた様子があった。
文責 高橋久
福島に河北潟の野菜を送る
河北潟の水辺を守り隊では、福島県相馬市に河北潟の野菜を届けるための馬琴活動を始めました。
河北潟湖沼研究所も協力して取り組んでいます。詳しいことは、守り隊事務局または河北潟湖沼研究所まで。
(以下、河北潟の水辺を守り隊より 活動の趣旨・募金先案内)
福島県南相馬市では、地震と津波に加えて、原発事故という二重の災害に見舞われました。復興のための取組はまだまだ遅れています。
家と田畑を失った被災地の皆さんに、おいしい河北潟の野菜を送る取組を始めました。
皆様からいただいた募金により、河北潟の農産物を買って福島県内の野菜作りが困難な地域に届けます。
募金は全額、野菜等の農作物の購入に充てられます。運送等の経費は、河北潟の水辺を守り隊の自己資金から充当します。
現地では、協力者により配布をお手伝いいただき、野菜を必要としているできるだけたくさんの人に配ります。配布の成果は、webページで報告します。
募金振込先として、以下の2つの銀行口座を開設しています。募金に協力いただける方は、右の河北潟の水辺を守り隊の連絡先より、お名前、住所、電話番号をご連絡下さい。
第1回目の募金集計は2012年1月31日です。2月上旬に野菜を福島県南相馬市に送ります。
振込先(手数料はご負担下さい)
石川かほく農業協同組合 津幡支店 普通口座 0035624 河北潟の水辺を守り隊募金口座(カホクガタノミズベヲマモリタイボキンコウザ)
北國銀行 津幡支店 普通口座 478037 河北潟の水辺を守り隊募金口座(カホクガタノミズベヲマモリタイボキンコウザ)
Weページ https://sites.google.com/site/mizubemamoru/
河北潟湖沼研究所も協力して取り組んでいます。詳しいことは、守り隊事務局または河北潟湖沼研究所まで。
(以下、河北潟の水辺を守り隊より 活動の趣旨・募金先案内)
福島県南相馬市では、地震と津波に加えて、原発事故という二重の災害に見舞われました。復興のための取組はまだまだ遅れています。
家と田畑を失った被災地の皆さんに、おいしい河北潟の野菜を送る取組を始めました。
皆様からいただいた募金により、河北潟の農産物を買って福島県内の野菜作りが困難な地域に届けます。
募金は全額、野菜等の農作物の購入に充てられます。運送等の経費は、河北潟の水辺を守り隊の自己資金から充当します。
現地では、協力者により配布をお手伝いいただき、野菜を必要としているできるだけたくさんの人に配ります。配布の成果は、webページで報告します。
募金振込先として、以下の2つの銀行口座を開設しています。募金に協力いただける方は、右の河北潟の水辺を守り隊の連絡先より、お名前、住所、電話番号をご連絡下さい。
第1回目の募金集計は2012年1月31日です。2月上旬に野菜を福島県南相馬市に送ります。
振込先(手数料はご負担下さい)
石川かほく農業協同組合 津幡支店 普通口座 0035624 河北潟の水辺を守り隊募金口座(カホクガタノミズベヲマモリタイボキンコウザ)
北國銀行 津幡支店 普通口座 478037 河北潟の水辺を守り隊募金口座(カホクガタノミズベヲマモリタイボキンコウザ)
Weページ https://sites.google.com/site/mizubemamoru/
2011年12月11日
チクゴスズメノヒエ除草活動の結果
2011年11月30日
第4回河北潟セミナーのお知らせ
9月より「河北潟セミナー」と題する座学を実施しています。
第四回の今回は、干拓地営農の歴史・現状・課題について、より具体的に知ることを主題とし、以下の要領で開催いたします。
タイトル: 「河北潟干拓地における営農活動」
話題提供者: 鈴木時秀 氏(河北潟干拓土地改良区 事務局長)
話題の紹介:
河北潟干拓は、昭和30年代までの国内の食糧不足を確保するために行われた国営事業であったが、昭和40年代に入ると、米余り時代となり昭和45年開田抑制通達により河北潟建設事業も「米作り」から「畑作地」に計画が変更となり「畑」「特殊畑(レンコン)」「酪農」となった。
昭和61年から本格的な営農が開始され、国指定の「キャベツ」石川県指定の「すいか」と順調な営農であったが、近年になり実需者のニーズの対応と農業者の高齢化、後継者不足から畑作に対する意欲が陰り機械力に依存する傾向が強く、特に麦・大豆や、元来周辺地域からの増反者は米作りが主目的であることから、営農体系が穀類を中心とした営農に変化してきた。
現在は、ブランド化したレンコン・サツマイモや、水稲、麦、大豆の穀類、施設園芸の小松菜、果樹等を中心とした営農体系に変わってきた。
酪農は乳価の低迷、飼料の高騰等が影響し入植当時から低迷が続いているも、石川県の45%の消費量を維持している。
日時: 12月13日(火曜日)18:30-20:30
場所: 特定非営利活動法人河北潟湖沼研究所
〒929-0342 石川県河北郡津幡町北中条ナ9-9
tel.076-288-5803/fax.076-255-6941
地図は研究所ホームページ,http://kahokugata.sakura.ne.jp/fram.html よりご確認下さい。
第四回の今回は、干拓地営農の歴史・現状・課題について、より具体的に知ることを主題とし、以下の要領で開催いたします。
タイトル: 「河北潟干拓地における営農活動」
話題提供者: 鈴木時秀 氏(河北潟干拓土地改良区 事務局長)
話題の紹介:
河北潟干拓は、昭和30年代までの国内の食糧不足を確保するために行われた国営事業であったが、昭和40年代に入ると、米余り時代となり昭和45年開田抑制通達により河北潟建設事業も「米作り」から「畑作地」に計画が変更となり「畑」「特殊畑(レンコン)」「酪農」となった。
昭和61年から本格的な営農が開始され、国指定の「キャベツ」石川県指定の「すいか」と順調な営農であったが、近年になり実需者のニーズの対応と農業者の高齢化、後継者不足から畑作に対する意欲が陰り機械力に依存する傾向が強く、特に麦・大豆や、元来周辺地域からの増反者は米作りが主目的であることから、営農体系が穀類を中心とした営農に変化してきた。
現在は、ブランド化したレンコン・サツマイモや、水稲、麦、大豆の穀類、施設園芸の小松菜、果樹等を中心とした営農体系に変わってきた。
酪農は乳価の低迷、飼料の高騰等が影響し入植当時から低迷が続いているも、石川県の45%の消費量を維持している。
日時: 12月13日(火曜日)18:30-20:30
場所: 特定非営利活動法人河北潟湖沼研究所
〒929-0342 石川県河北郡津幡町北中条ナ9-9
tel.076-288-5803/fax.076-255-6941
地図は研究所ホームページ,http://kahokugata.sakura.ne.jp/fram.html よりご確認下さい。
2011年11月16日
2012年河北潟カレンダーができました。
2011年10月28日
チクゴスズメノヒエ除去活動のお知らせ
河北潟の周辺の水路や河川において、外来植物(チクゴスズメノヒエ)の除去活動を今年度も行います。この活動は、河北潟地区外来植物対応方策検討会と今年発足した河北潟の水辺を守り隊に参加する団体が主体となって、また一般の市民に呼びかけて実施するものです。
以下に作業日程と参加呼びかけのチラシ(PDFファイル)を掲載します。
(1)11月11日(金) 9:00〜11:00 河北潟干拓地内
(2)11月12日(土) 9:00〜11:00 指江第一用排水機場周辺
(3)11月13日(日) 9:00〜11:00 津幡町浄化センター横
(4)11月19日(土) 9:00〜11:00 二日市川近くの水路
(5)11月20日(日) 9:00〜11:00 金沢市こなん水辺公園
案内チラシのダウンロードはこちら→http://kahokugata.sakura.ne.jp/news/pdfjpg/chikugo2011.pdf
詳しいことは河北潟湖沼研究所までお問い合わせ下さい。
以下に作業日程と参加呼びかけのチラシ(PDFファイル)を掲載します。
(1)11月11日(金) 9:00〜11:00 河北潟干拓地内
(2)11月12日(土) 9:00〜11:00 指江第一用排水機場周辺
(3)11月13日(日) 9:00〜11:00 津幡町浄化センター横
(4)11月19日(土) 9:00〜11:00 二日市川近くの水路
(5)11月20日(日) 9:00〜11:00 金沢市こなん水辺公園
案内チラシのダウンロードはこちら→http://kahokugata.sakura.ne.jp/news/pdfjpg/chikugo2011.pdf
詳しいことは河北潟湖沼研究所までお問い合わせ下さい。
2011年09月23日
第80回河北潟自然観察会のお知らせ
2011年09月07日
2011年09月05日
第1回「河北潟セミナー」のお知らせ
干拓地をめぐる環境問題、農業を中心とした地域振興のあり方をメインテーマにとするセミナー「河北潟セミナー」を企画致しました。
多方面の専門家の話題提供で多角的に問題を俯瞰できるセミナーなればと考えています。
その第一回セミナーを9月6日午後6:30から開催致します。今後は月一回程度の開催を予定しています。
---------------------------------------
第1回「河北潟セミナー」
講師: 桂木健二先生(富山大学名誉教授)
テーマ: 河北潟国営干拓の半世紀−これからの課題
概要: 干拓地の営農を妨げてきた問題として、営農者が負担する償還金の大きさが挙げられる。この干拓地事業の構造的な問題を明らかにし、今後の課題を整理する。
日時: 9月6日18:30-20:30
場所: 特定非営利活動法人河北潟湖沼研究所
929-0342 石川県河北郡津幡町北中条ナ9-9
tel.076-288-5803/fax.076-255-6941
多方面の専門家の話題提供で多角的に問題を俯瞰できるセミナーなればと考えています。
その第一回セミナーを9月6日午後6:30から開催致します。今後は月一回程度の開催を予定しています。
---------------------------------------
第1回「河北潟セミナー」
講師: 桂木健二先生(富山大学名誉教授)
テーマ: 河北潟国営干拓の半世紀−これからの課題
概要: 干拓地の営農を妨げてきた問題として、営農者が負担する償還金の大きさが挙げられる。この干拓地事業の構造的な問題を明らかにし、今後の課題を整理する。
日時: 9月6日18:30-20:30
場所: 特定非営利活動法人河北潟湖沼研究所
929-0342 石川県河北郡津幡町北中条ナ9-9
tel.076-288-5803/fax.076-255-6941


